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SNSで知り合って5ヶ月で結婚した男のハナシ。

*初めに、この話は2021年にTwitterに投稿したものを2023年4月現在で加筆して投稿しています。

私は福岡県在住、40歳独身のごく普通の男である。

ある日SNSで突然、知り合いの女性から「東京で会いませんか?」という話があった。

彼女とは2013年にSNSで共通の趣味で知り合った趣味仲間だ。

話を聞くと、彼女は旅行へ行きたいが友人たちが多忙で一緒に行ける人がおらず、誰か一緒に行ってくれる相手を探していたらしい。

しかし、彼女と私はSNSで会話したことはあるが実際に会ったことはなく、顔も声も全く知らない間柄だ。

それなのになぜ彼女は私を旅行に誘ったのだろう?

私の生い立ちと我が家を蝕む病気

後に彼女から聞いた話では、ある出来事をきっかけにずっと気にかけてくれていたらしい。

その出来事とは、2019年2月に私の母がインフルエンザが原因で肺炎になり、そのまま帰らぬ人となった事だ。

原因の一つに私が仕事に身を捧げすぎていたことがある。

毎日朝から晩まで働いていて気持ちの余裕がなく、母の異変に気づけなかった。

私は母が亡くなってどうしていいか分からず、気が付いたらSNSを通して彼女に相談していた。

うちは母と私の2人暮らし。

元は父・姉もいて4人暮らしだったが、父は私が小学校低学年のころに母と離婚して出て行き、姉は成人してから自立のため家を出た。

父と母が離婚してからの生活はとても裕福とは言えない生活で毎日暮らすことで精いっぱい、行きたかった大学への進学は出来ず、高校を卒業してからは就職をして、働き詰めの生活を繰り返して20年が経とうとしていた。

ある時、母は風邪をひいていた。

母が風邪気味なのは私も分かっていたのだが、当時は朝から夜まで仕事で休みも週1のみ。

それでも給与が少なくて、
手っ取り早く稼げる治験をやろうとその週の休みの日に、治験の仕事をするに為に健診を受ける予定があり、病気の母を置いて健診に向かった。

いま思えば、その日に母を病院に連れて行ってれば今も生きていたと思う。

ヒューヒューという呼吸音が健診に行く日に聞こえていた。
もうこの時、母は肺炎になっていたのだ。

母は以前から病気で働けない体だった。
2人で生活するには私の給与はやや苦しい。

治験をする事で少しでも家計が楽になればと思い、受ける予定だったが、後日不合格の通知があり、受けることが出来なかった。

健診の日、母は失禁・脱糞をしてたみたいだった。当時は「何してるんだよ」って思っていた。

亡くなる前の母の姿

母が亡くなってから医者に聞いたのだが、肺炎になると苦しくて動けなくなるらしい。

当時、お金がないにも関わらず母は母の弟にお金を貸していた。
私は貸したくは無かったが母にお願いされて仕方なく貸していた。

貸したお金は期限を守られず、次月に繰り越した。

健診の次の日、叔父から「お金を入金した」という電話があったので母はお金をおろしに銀行に行ったが、結局うまく出金ができなかったらしくそのまま帰ってきたらしい。

私がそんな母の行動を知ったのは、次の仕事が休みの日だった。

医師の話では、母は私が健診だったあの日から肺炎になってて、動く事もかなりきつかっただろうと言っていた。

そんな状態で銀行に行ってお金を下ろそうとして何してるの?自分の体調の事考えろよと思ったが、
亡くなってからじゃ意味ないけど 治験の日から3日後流石にお漏らししているから病院に連れて行く予定で仕事場にも電話して少し遅れると連絡して病院に連れて行く予定だった。

それでも母は頑なに病院に行くのを拒んだ お金がなく私に迷惑かける事が嫌みたいで結局病院には行かなかった私は母と喧嘩してそれなら死ねばいいと言って仕事に向かった

その日の夜中1時半に帰ってきた 母が寝ていたので今度こそ連れて行こうと救急車で連れて行けば拒めないと思い病院に連れていく予定で救急車を呼んだのだが救急隊員さんに連れられて救急車に乗せられて意識が朦朧としていて搬送先の病院に着いてから検査してもらったらインフルエンザからの肺炎になってると言われたそれもかなり悪い状態だった何でこんなになるまで放っておいたの?って言われた後1週間の命だと思ってと言われた

それで親戚に連絡して来てもらう事にした救急車で母はかなり危険な状態だと教えられた意識も朦朧で危険な状態だった、当時の私の頭はちょっとおかしかったと思う母親の死より仕事の事を考えていた後1週間の命なら仕事に行けると思った半々だが延命治療も出来た

だがお金がない自分には延命治療費を払えないと断った、頭が動転して高額医療費免除がある事を忘れていた

今思えば延命治療やらせておけばよかった 本当に後悔しか残らない、生きていたかもしれない。

母の病院に持っていくのを取りに家に帰って届けたら仕事に行く予定だった

だが病状が悪化して家に着いた途端病院から電話があり母が意識がなくなったからすぐに来てくれと連絡があった

病院に着いてすぐに母は亡くなった私に迷惑をかけたくなかったのかもしれない

それから私は自暴自棄に陥った SNSで知り合った女性にも相談したそれが今の妻である

自分のせいじゃないからとか言ってくれて気に掛けてくれた

今思えばそれで旅行にも誘ってくれたんだと思う

その当時は面倒くさいとか思っていた母の葬儀代も支払えないからお金を銀行から借りて返済しているのに金ないよ

これも伝えていた お金がないから母は亡くなった 私はお金を稼ぐ為に飲食業を辞め派遣業に転職したキツい仕事だったが時給が良かった 良い人も居れば苦手な人も居て何処も一緒だなと思って仕事をしていた

え?いやいや母の1周忌もあるしお金がかかるから無理ですと断ったのにゴリ押しで来る事に決まった

後で妻から聞いた話だとその当時私の事が心配だったらしい

優しい人だけど私からしたら面倒くさい人だった東京で会いませんか?って言われて まぁ気晴らしになるかもと思い じゃあ良いですよと言っていつですか?と話し合い1月の連休になった

私が色々考えたら収入が増えたとはいえ支払いとか色々あって今回はお断りしますと決めて終わりになる予定だった後日なら私が福岡に行けば良いんでしょ?って言われた色々話して母の1周忌の後になり2月の連休に会う事になった

会うまでにお金を貯めなければいけなかった私は年末年始大型スーパーでオードブルの深夜の短期バイトをやった

この頃派遣先の方に可愛がられて残業もやらせてもらっていた何とかお金は足りた 仕事場で母と同年代の男性2人と仲良くしていたその2人の男性から元々東京で会う予定をこっちに来てくれるんだから食事代は全部奢ってあげなさいと言われていた

その頃あのウイルスが徐々に猛威をふるい始めていたコロナウイルスだ

彼女は保育士だったのでそれを1番心配していた

来るまでは九州はコロナ感染者はいなかった彼女が飛行機で福岡に到着した日に福岡でコロナ感染者が出た

その頃保育園はコロナウイルスを拡めない為の対策を徹底していた

彼女もまたコロナウイルスを園に持ち込んではいけないと それでも楽しむ所は楽しみたいと思っておりホテルに着いたらしい

私と会ったのは次の日である彼女は3泊4日の旅行で福岡に来た

福岡に着いたのは曖昧だが16時位だと思う

到着当日は私は仕事で会う事は無く 彼女は予約したホテルで過ごした 2人共この時点で付き合う事もましてや結婚する事すら考えていなかった彼女が泊まったホテルは柳川のルートインホテルだった

私が住んでいる市とは違うが近かった

福岡市内や久留米でも良かったのに私に気を遣ってくれて私の住んでる近くのホテルにしてくれた前日に予定を立てて 朝の8時に待ち合わせにした福岡で初のコロナ感染者が出たので福岡で行きたかった屋台やキャナルシティ、太宰府天満宮を取り止めて熊本に行く事に変更した

朝起きて女性に会いに車を走らせた 2月末だが気温は暖かかった30分程でホテルに到着した

女性と話す事も会う事も今回が初めてだった

お互いニックネーム以外殆ど分からない状態だった

会う事が緊張していた 元々旅行に巻き込んでほしくなかったからだ 私は独りが好きな性分だからだ

ドライブも1人で行っていたし美味しいお店も1人で行っていた着いた後連絡して下に降りて来てもらってやっと会えた

SNSで会うんだからちょっと変わった人かな?と思っていた 6年位SNSで知ってはいるが素性も分からない男と会うんだからちょっと世間とはズレた人だと思ったが仕事も保育士さんだからまぁ大丈夫かと思って会った思ったより髪の毛色が明るかった保育士だから黒か暗めの茶髪かと思っていたが明るめの茶髪だった当時はマスクが売り切れ状態だったから私はマスクはしていなかったが女性は仕事柄もありマスクをしていた

綺麗な人でした

お互いに挨拶をして熊本に遊びに行く事になった行き先は熊本城とその下にある桜の馬場 城彩苑と言う所に向かった

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